悪人正機(あくにんしょうき)

 

 

世界中で分断が進み、憎しみが連鎖していくニュースを目にします。

国内でも「自分は100%正しく、相手が100%まちがっている」という、極端な論調が目立つようになってきました。

 

こんな時代だからこそ、親鸞聖人の言われる「悪人正機」という教えをますます大切にしていかなくては、と思います。

誤解されることの多い「悪人こそが救われる」という言葉ですが、そこには深い深い意味がありました。

 

 

PDFはこちら⇒No.039

 

 

 

 

 

誤解される「悪人正機」

浄土真宗の大切な言葉に、「悪人正機」というものがあります。「悪人こそが、阿弥陀如来の救いの目当てである」という意味です。

 

しかし、この言葉は反発を持って受け止められることがあります。

「どうして悪いことをした人が救われるのか?」と・・・。

 

今月は、この「悪人正機」をわかりやすくとらえたエピソードをご紹介します。『在家仏教』(2009年7月)の中で、元同朋新聞編集委員の亀井鑛(ひろし)さんが書かれていました。

 

 

 

善人どうしは喧嘩する

 

『在家仏教』亀井鑛さんの寄稿より

 

小学校5年生を教えるベテランの先生。

ある日の放課後、二人の子どもが教室でけんかしているのを見つけました。その訳を聞くと、お互いに「相手が悪い」と言ってゆずらない。

 

そこで先生は、「自分は良くて相手だけが悪いと、本当に言い切れるのか、いっぺん胸に手を当ててよく考えてみろ。そして思いつくことがあったら職員室へ来い」と言って、しばらく時間を与えたそうです。

 

小一時間後。

子供たちは二人で職員室にやってきました。

 

「考えてみたら、自分にもまちがっていた所がありました」と一人が言う。

するともう一人も、「自分にも悪いところがありました」と言い、二人で頭を下げたのです。

 

先生は言いました。

「けんかが終わって良かったな。さっきまでお前たちは『自分は善人だ、自分はまちがっていない』と言ってけんかをしていた。

ところが今、自分も悪いやつだ、愚かな人間だということに気づかされたら、けんかをやめて二人で先生の前へ頭を下げにやってきた。

善人が二人そろうとけんかする。悪人が二人そろうと仲良く頭を下げる。これ、不思議だと思わんか。

 

「はい、不思議です」・・・。

 

 

 

 

 

私は善人? 悪人?

 

私たちは知らず知らずのうちに、自分のことを「善人」だと思い込んではいないでしょうか?

 

この私こそが「悪人」であることに気づいたとき、「悪人をこそ救う」という阿弥陀如来の本願が、「お前を救わずにはおれないんだよ」と、この私に呼びかける声(南無阿弥陀仏)として聞こえてきます。

 

 

 

 

 

 あとがき

 

「悪人正機」とは、「他力本願」や「往生浄土(往生成仏)」と並び、お念仏のみ教え(浄土真宗)の基本的な考え方を示す重要なキーワードです。

 

分かりやすい例として二人の小学生のやりとりを取り上げましたが、「手っ取り早く謝った方が、物事は丸く収まる」といった意味では決してありません。

 

私たちの真実の姿(迷いの姿・自己中心の姿)に自ら気づいていくこと、否、真実から目を背けようとする私たちに気づかせる如来のはたらきのことを指し、さらにはそんな私たちでも救われていく、阿弥陀如来の救いの大きさを示すことばなのです。

 

参照「他力本願」⇒👉No.176の解説を見る

 

参照「浄土」⇒👉No.021の解説を見る

 

 

親鸞聖人が「悪人正機」のことをどのように語られているかを知りたい方は、ぜひ「もうちょっと知りたい(お経のこと)」まで読んでみてください。

 

 

 

 

 

解説;もうちょっと知りたい(お経のこと)

 

悪人正機

 

悪人正機の根拠とされるのは、「善人なほもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや。」という有名な一節で始まる『歎異抄』第三条です。

 

少し長くなりますが、現代語訳を見てください。

 

 

善人ですら往生をとげる(浄土へ参り仏の覚りを得る)のです。まして悪人が往生をとげられないことがありましょうか。

 

しかるに世間の人は常に、悪人ですら往生するのだから、まして善人が往生しないことなどあろうか、といっています。この考え方は一応もっともなようですが、阿弥陀如来の本願他力の救いの御心には背いています。

 

そのわけは、自力による善行によって往生しようとするような善人は、阿弥陀如来の本願他力だけをひとすじにたのみ・おまかせするという信心のない人だからです。これは、本願の御心にはかなっていません。

けれども、わが身の善をたのむ憍慢な自力の心を改めて、阿弥陀如来の本願他力をたのみ・おまかせするならば、如来の御はからいによって、真実報土(浄土)に往生をとげさせていただくことができます。

 

あらゆる煩悩を身にそなえている私どもは、どのような自力の修行をしてみても、生死の迷いから離れることができません。それを憐れんで、救いとげようと本願をおこされたのが阿弥陀如来でした。

ご本願の本意は「煩悩にまみれた悪人を救って完全な仏の覚りを得させること」ですから、如来の本願をたのみ・他力のはたらきにまかせきっている悪人こそ、第一に往生すべき者です。

 

それゆえ「善人でさえも往生させていただくのであるから、悪人ははなおさらのことであると(わが師の法然聖人は)仰せられたことでした。

<『浄土真宗聖典』p833 より現代語訳>

 

 

第三条の最後に見られるように、「悪人正機」は親鸞聖人の師である法然聖人から受け継がれたものでした。そしてこの考え方は、それまでの仏教の枠組みを大きく変えてしまうほどのインパクトがありました。

 

 

仏教とは何か、ということを端的に表すものとして、「七仏通誡偈」が挙げられます。 

 

諸悪莫作(悪を作るな)

衆善奉行(善を為せ)

自浄其意(心を浄くせよ)

是諸仏教(これが諸仏の教え)

 

 

文字通り、「善をなして悪をなさざる者、煩悩(自分中心)から離れ心を浄く保つ者こそが救われていく」というものです。私たちの「社会常識」にも通じるものがあり、受け入れられやすい言葉です。

 

しかし、法然聖人も親鸞聖人も、「私に真実の善を行うことなどできるのだろうか?  自分中心の心を本当に制御できるのだろうか?」と長い時間をかけて真摯に問い続けられました。

その結果は、「少なくとも自分は、煩悩から離れることができない愚かな身である」というものでした。そして、次のように自分のことを語っておられます。

 

「十悪の法然房」「愚痴の法然房」(法然聖人)

「修行にも耐えられない愚悪のわが身には、地獄こそが住みかといえます」(親鸞聖人)

 

自分自身を深く深く見つめ続けたからこそ、至ってしまった絶望といえます。

その絶望のなか、二人は阿弥陀如来の本願他力に出遇うのです。

 

 

如来の本願は、「われにまかせよ、必ず救う」と表現されます。

法然聖人や親鸞聖人にとっては、どこにも救いのない暗闇に強烈な一筋の光が差したように感じられたのではないでしょうか。

 

参照「他力本願」⇒👉No.176の解説を見る

 

 

以後、お二人が発したとされる言葉には、相通じるものが数多くあります。

そこには常に、救われがたい我が身への嘆きと、その我が身を救ってくださる阿弥陀如来に出遇えた喜びが、同時に存在していました。

 

参照「二種深心」⇒👉No.185の解説を見る

 

 

一つ、この「悪人正機」で気をつけておかなければならない点は、「悪人が救われるのなら、どんな悪をなしても良いじゃないか」という開き直りとは、まったく違う意味であることです。

 

誤解が生まれやすい言葉であるが故に、親鸞聖人もたびたび、弟子に宛てた手紙の中で「進んで悪をなす態度」を誡めておられます。

 

 

親鸞聖人のおことば(『親鸞聖人御消息』より)

煩悩を具えた身であるからといって、心の欲するままに、なすべきではないことをもし、言うべきではないことをも言い、思うべきではないことをも思って、どんなことでも心のままにあるのが良いのだと主張しているようなことは、返す返す困ったことだと思われます。このようなことは、酔いも醒めないうちからさらに酒を勧め、毒も消えきっていないのにますます毒を勧めるようなものです。

<『浄土真宗聖典』 p739より現代語訳>

 

 

法然聖人のおことば(『和語灯録』より)

ほとけが悪人を捨てられることはないが、好んで悪を作る者は、仏弟子とはいえない。

…父母の慈悲があるからといって、父母の前で悪を行ったら、父母は喜ぶであろうか。嘆きながら捨てず、憐れみながら罪を憎むのではないだろうか。ほとけも、かくのごとしである。

 

 

「悪人正機」だからといって、悪をなして良いわけではない。でも善をなすこともできるわけではない…。「いったいどうすれば良いんだ⁉」と思ってしまいますが、阿弥陀如来の慈悲に出遇った者の心持ちとは、『歎異抄』の後序に記された親鸞聖人のおことばに尽きるのではないかと思います。

 

この私は果てしなく深く重い罪を背負う身であったのに、救おうと思い立ってくださった阿弥陀如来の本願の、なんともったいないことであろうか

<浄土真宗聖典  p853より現代語訳>

 

 

☆今回の解説は、梯實圓和上の『聖典セミナー 歎異抄』(本願寺出版社)を参照させていただきました。

 

 

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