メッセージを語り継ぐ

 

 

宗教の話には「奇跡」がつきものです。そしてそれが、科学第一の教育を受けてきた者にとっては、とっつきにくい一因だったりします。

仏教でも、お釈迦さまの奇跡や伝説がいくつも語られます。浄土真宗の宗祖・親鸞聖人にまつわる伝説もたくさんあります。

 

「昔の人は、こんな荒唐無稽な話を本気で信じていたのだろうか?」

「科学が未発達とはいえ、さすがにこれは信じ難いのではないだろうか?」

私はそんな風に考えたことがあります。

 

教祖や宗祖の偉大さを実感させるために、語り継がれてきた話もあるでしょう。しかし長く伝わってきた理由は、それだけではない気もします。

時代を超えて語り継がれてきたものには、奇跡そのものよりも大切なメッセージが込められているのではないか・・・。

 

今回は、そんなことを感じさせてくれる文章をご紹介します。

 

 

PDFはこちら⇒No.187

 

 

 

 

 

 

『親鸞 越後の風景』

内藤 章  著(考古堂)より

 

親鸞ゆかりの不思議がある。

一度に八つの実がなるという「八房の梅」だ。

 

ある日のこと、佐吾助の家を訪れた親鸞に夫婦は心ばかりの粥と梅干しを出した。それをおいしく食べた親鸞は庭に梅干しの種を埋め、

「人が救われるのは仏の不思議な力。この教えが末代まで広まり、凡夫女人が救われるなら、この塩梅からでも芽を生じて一花に八つの実がなるだろう。これを後の世に示す証拠としよう」と告げる。

 

やがてその通り、塩梅は木となり、実をつけ、人々は親鸞が語った「仏の救い」をよろこんだという。

 

 *八房の梅は山梨や岐阜、名古屋など各地にあり、県の天然記念物に指定されているものもある。

 

 

 

 

伝説を追う新聞記者

 

平成19年、朝日新聞新潟版に「越後の親鸞  伝説を訪ねて」という記事が六十回にわたって連載されました。親鸞聖人が念仏弾圧によって越後に流罪にされてから800年が経つのを機に、企画されたものでした。

 

担当することになった内藤記者は、かなり悩みました。

親鸞聖人の越後での暮らしは謎に包まれており、多くの伝説や伝承は残っているものの、そのルーツはどれも江戸時代以前にはさかのぼれないからでした。

 

 

 

しかし、一年近くかけてゆかりの地を訪ね歩き、伝承を語り継ぐ人々との出会いを通じて、内藤記者には不思議な感情が芽生えてきたといいます。

 

 

 

再び『親鸞 越後の風景』より

 

あるときふと、仏の救いをひたすらに信じる親鸞の言葉に、私自身が揺れていることに気がつきました。熱く、不思議な思いが訪れたのです。

それはこんな思いでした。

 

この世に生きている人はすべて救われる、必ず、とんな「いのち」も、人生も、きっと、救われる。だれひとり漏れることなく救われる…。

 

…仏教で、念仏で、いったい人はどう救われるのかと問うことは切実なことだ。しかし、ひょっとすると、それよりもっと大事なことは、「人は救われる」というメッセージが永遠に語り継がれていくことではないのか、そういう永劫のメッセージこそが人を究極において救うのではないか、と。

 

 

 

救われた人々こそが語り継ぐ

 

越後の地には、「七不思議」とも呼ばれる親鸞聖人の伝説があります。科学的知見から言えば、どの話もにわかには信じ難いものばかりです。

では、人々はそうした荒唐無稽な話を心から信じて語り継いできたのでしょうか?

 

そこには、人々の願いが込められているのではないかと思います。

「あらゆる者が必ず救われる」という“にわかには信じ難い”お念仏の教えに、自分は実際に人生を支えられた、それを次の世にも伝えたいという願いが、伝説も一緒に語り継ぐことにつながったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

あとがき;お念仏に救われた人々

~参照先~

お念仏はなぜするのでしょうか?

それは私たちのご先祖方が「お念仏に出遇うことで救われた」と、幾世代にもわたって語り継いできてくれたからです。

 

語り継いできたそれぞれ一人一人に、大切な人生があったはずです。時代ごとに違うとは思いますが、より良く生きようと迷い・悩みながら歩む姿は、今の私たちとそれほど大きくは変わらなかったのではないでしょうか。

 

その迷いや悩みのなかで「南無阿弥陀仏」に導かれ、「南無阿弥陀仏」と手を合わせていった人々がいたからこそ、今にお念仏が伝わっています。

 

 

仏教の祖・お釈迦さまは、一切書物を残さなかったことで知られています。

お釈迦さまの教えに救われた者たちが口承で次の世代に伝え続けた結果、お経が成立したのは没後500年経ってからだと言われています。これは500年もの間、口承で語り継がれた教えのみによって、救われる人々が絶えなかったことを示しています。

 

 

お念仏もまた難しい理屈ではなく、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と手を合わせる人々の姿によって、時代を超えて受け継がれてきました。伝わってきた年月の分、救われた人々がいたのです。

私たちの父や母・祖父母・そして名前も知らないご先祖方が、「遺していく大切な者たちも救われて行って欲しい」と願い、受け継いできてくれた「南無阿弥陀仏」なのです。

 

どうかお念仏に支えられ救われた人々の願いに、思いを馳せてみてください。

 

 

 

 

 

解説;もうちょっと知りたい(お経のこと)

 

諸仏称名の願(第十七願)

 

お念仏を受け継いできた人々は、私にとって「仏さま」だと考えられます。そして皆さんもお念仏することで、「仏さま」のはたらきの一部となるのです。

 

 

さて、何のことを言っているかというと・・・

 

浄土真宗の根本経典『大無量寿経』には、「すべての者を分け隔てなく救う」と阿弥陀如来が誓った四十八の願いが説かれています。その中で、もっとも大切な願い(本願)は第十八願に説かれています。

 

 参照「他力本願」⇒👉No.176の解説を見る

 

 

このように本願が誓われているのは第十八願ですが、今回注目したいのは、その一つ前の第十七願です。

 

親鸞聖人はこの第十七願を、「諸仏称揚の願・諸仏称名の願」と呼びました(『教行信証・行巻』<『浄土真宗聖典』p141>)。それぞれ、「あらゆる仏がたにほめ讃えられるという願い」・「あらゆる仏がたに南無阿弥陀仏とお念仏を響かせてもらうという願い」とでもいえるでしょうか。

 

 *両方「ほめ讃えられる」という意味だとされることもありますが、『唯信鈔文意』には親鸞聖人が「十方無量の諸仏に我が名をほめられん、となへられん」と表現している箇所があり、今回はその意を取りました。

 

 

<第十七願>

たとひ われ仏を得たらんに、十方世界の無量の諸仏、悉く咨嗟(ししゃ)して、わが名を称せずは、正覚を取らじ。

 

(訳)わたしが仏になるとき、すべての世界の数限りない仏がたが、みなわたしの名(南無阿弥陀仏)をほめたたえ、南無阿弥陀仏と称えないようなら、わたしは決してさとりを開きません。

 

 

この「数限りない仏がた」の中には、『大無量寿経』を説いて阿弥陀如来の徳をたたえたお釈迦さまも含まれます。あらゆる仏がたが、南無阿弥陀仏の徳をたたえる、あるいは南無阿弥陀仏と称えることを願ったのが第十七願です。

 

 

ではなぜ、この十七願が阿弥陀如来によって願い、誓われねばならなかったのでしょうか?

それは、あらゆる者に南無阿弥陀仏の救いを届けるためです。この私に南無阿弥陀仏を聞かせるためです。

 

 

この第十七願の意味をうかがうと、誰かが称えた念仏も「あなたを必ず救う」と誓った阿弥陀如来の呼び声「南無阿弥陀仏」が、その方の口を通して私の耳に聞こえてきたものになります。

 

 参照「本願招喚の勅命⇒👉No.080の解説を見る

 

 

阿弥陀如来の願いを受けて、仏がたが伝えてくれた救い(南無阿弥陀仏)。それに救われ、口々にお念仏してきた人々を通じて今、私の耳や目に届いているのが「南無阿弥陀仏」なのです。

そういただいたとき、冒頭に挙げた表現、お念仏を受け継いできた人々は、私にとって「仏さま」だと考えられます。につながります。

 

今度は、お念仏を聞いた私たちが「南無阿弥陀仏」と口にします。そのお念仏を聞いた誰かの元に、また南無阿弥陀仏の救いが届くのです。

皆さんもお念仏することで、「仏さま」のはたらきの一部となるのです。」という表現は、こうした繋がりの一部に私がなることを指しています。

 

 

「南無阿弥陀仏で救われるなんて、信じられない」と考える人もいます。それを口に出して言う人もいます。しかし親鸞聖人は晩年、弟子たちに向けたお手紙のなかで、自らの師・法然聖人のことばを繰り返し書き送っています。

<『浄土真宗聖典』p787>

 

「念仏申す人々は、その妨げをなす人たちを哀れみふびんに思って、念仏をていねいに称えて、妨げをなす人をお助けになるのがよい」とまで、法然聖人は言われました。よくよく耳を傾けるべき言葉です。

 

 

もしも私たちに、この娑婆世界での役割があるとするならば、「南無阿弥陀仏」をまた次の方につないでいくことではないかと思います。それによって、またどこかで誰かが「南無阿弥陀仏」に出遇い、救われていくのです。

 

 

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